松永塚(愛鷹山塊-山神社)

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松永塚

愛鷹山は古来、足柄、足和田山と共に、富士の三足とよばれ側火山黒岳を抱く壮年期の独立火山帯である。

山頂は、越前岳・呼子岳・大岳・位牌岳・愛鷹山の六峰に分岐し熊ケ谷噴火口・大沢爆裂火口を囲んでいる。

最南端の一際高い愛鷹山頂には、源頼朝が信仰した愛鷹明神の本社の鎮座があり、氏子を始め信仰登山者達でにぎわっていたが、北側の両火口付近は原始林に蔽われた人跡未踏の魔の愛鷹と言われていた。

偶々、昭和三年十月十七日の日本晴れに、静岡商業生、松永敏男君は学友風間君と共に愛鷹山頂に遊ぶ。

この時、突然の地震が発生、此れを景気に大暴風雨に遭遇、慌てた二人は、位牌岳の原生林に迷い込み右往左往やっと鋸岳を超えた所で力尽き果てた松永君は風雨の中で休んだままに息絶えてしまった。

この悲惨時に、登山道さえあったら・・・と、愛鷹六峰に亘る登山道の企画、設営の中心となったのが当時の県立御殿場実業学校通学中の須山学生団、勝又清士・勝呂志三・桜井金次郎・宮崎文平・杉山文雄・土屋秀男の六氏だった。

魔の愛鷹への重曹・横断コースの設営は苦難の連続だったかが、村民一致の協力・応援を得て完成する。

昭和十三年には、越前から見た「富士山」が五十銭紙幣図として日本中に紹介されて登山者が増加。

さらには、平成の世になって須山地区民多年の宿望だった「富士山須山口登山歩道」の再興をも導いた。

顧みれば、それから七十余年未だ遭難者尽きず。

愛鷹山の開祖となった松永君。登山道の開祖となった六氏の在りし日を偲び。只管登山者の安全を祈願して止まない

渡辺徳逸 撰

平成十四年十月吉日
須山地区青少年育成連絡会建立

この記念碑は(財)須山振興会の助成により建築されたものである


 

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